のらくろと特攻隊員

万世特攻基地

 久しぶりに万世特攻平和祈念館に行ってきました。入館するとまず目に入ってくるのが,この有名な「犬と戯れる隊員たち」の写真です。

 特攻隊員たちが迷い犬と過ごす最後のひとときを捉えた一枚の写真。この写真に映る,ちっぽけな楽しみから溢れる笑顔を見ていると,人間は死を悟ると,ほんの少しの安らぎでも幸せを感じるものだと改めて思います。この子犬「のらくろ(?)」は,特攻隊として旅立つ前に,ほんの少しでも温もりと安らぎを与えるために,見送りにやってきたのでしょう。写真を見ると,彼らはまだ高校生のようなあどけなさが残っています。

・犬と戯れる特攻隊員

 万世特攻平和祈念館資料より,前列右側より千田少尉(18歳)・荒木少尉(17歳)・早川少尉(19歳) ・後列右側より高橋少尉(17歳)・高橋要少尉(18歳)です。昭和20年5月26日 

のらくろ

 犬と戯れるこの写真は,特攻隊の最後の一時として非常に有名なもので,写真中央の荒木少尉が「チロ」と呼んで迷い犬を抱っこした集合写真だと言われています。「のらくろ」,よくぞやったぞ!

 この「のらくろ」とは,長谷川町子の師である田河水泡による漫画作品の主人公のことです。『のらくろ』のモデルとなった犬は,ボストンテリアという種類の犬だそうです。漫画でこの『のらくろ』は,身寄りのない野良犬でありながら,犬の軍隊に入隊し,活躍する物語です。最初は二等兵でしたが,徐々に階級を上げ,最終的には大尉まで昇進(11段階)したストーリーのようです。

階級特進について

 ところで,特攻隊の戦死者たちは,一般的に二階級から四階級の特進が認められていましたが,『のらくろ』のような犬の出世は異例と言えます。写真中央の荒木少尉も,入隊時は伍長だったので,5階級の特進を果たしたことになります。

・ ウィキペディアによると,階級は下位から順に,以下の通りです。

①二等兵②一等兵③上等兵④兵長⑤伍長⑥軍曹⑦曹長⑧上級曹長⑨准尉⑩少尉⑪中尉⑫大尉
⑬上級大尉⑭少佐⑮中佐⑯大佐⑰上級大佐⑱佐官級准将⑲将官級准将⑳少将と続き,
その上は中将・大将・上級大将・元帥となります。

万世特攻飛行場 関連年表

日本の戦争関連の年表万世基地関連の年表
1 昭和16年12月真珠湾攻撃 

2 昭和17年2月シンガポール占領 

3 昭和17年4月 日本本土初空襲
 

4 昭和18年12月学徒出陣始まる。
   
5 昭和19年10月 神風特攻隊が初の攻撃

6 昭和20年3月 東京大空襲 
 死者10万人

7 昭和20年4月 沖縄本土決戦
(鹿児島空襲死者3329人)

8 昭和20年8月 広島・長崎に原爆
 ~ポツダム宣言受諾
① 田布施村網揚に陸軍航空学校建設計画 軍部九州帝国大学調査で起伏の多い砂丘地のため不適当と判断(昭和17年2月)
② 知覧以外に飛行場が必要。工事困難でも砂丘地のため,農地を潰さずに済むとのことで田布施村網揚の全世帯集団移転(昭和18年1月)
③ 田布施村網揚の全世帯集団移転完了(昭和18年6月)
④ 万世飛行場建設工事が始まる(昭和18年7月)
⑤ 集団移転により新川国民学校廃校(昭和19年3月)
⑥ 万世飛行場ほぼ完成(昭和19年8月)
⑦ 万世飛行場が奇襲攻撃を受け通信兵戦死(昭和20年3月)
⑧ 飛行第66戦隊苗村少尉ら18機が太刀洗飛行場(福岡県)から万世飛行場に展開
⑨ 知覧に移動命令の特攻隊員含めすべての特攻隊員は招集解除,除隊命令等で解散となる(昭和20年8月)  

万世飛行場滑走路跡

赤で囲んだ線が滑走路跡になります。

初任地の助役さんの話

 話は変わりますが,大正生まれの戦争体験者の話で,「幼い子どもを残して戦死した後,その兄弟が未亡人と結婚し家族を守った」という話はよく聞く話です。

 私が初任校の時,その町の助役さんが正にそのような方でした。この方はとにかく明るい方で,数カ月に一回のペースで「マージャン・飲み会」を開いていました。私も先輩に誘われて何回か参加したことがあります。

 マージャンが好きだったのでしょうが,かなり下手で,いつもみんなのカモになっていました。忙しい時によくマージャンに誘われるので,役場の職員たちからは煙たがられ,学校の教員まで誘うようになったともっぱらの噂でした。「たまにわざと振り込んでいるのでは?」と思うほど,何度も一発で振り込んでいました。しかし,その時の助役さんはいつも笑顔でした。

 この特攻隊員の写真を見ると,写っているのは17歳から19歳くらいの若者たちです。この助役さんも大正生まれで,彼もまた,若い頃に戦争体験をしてきたそうです。散っていった友人たちのことを考えていたのでしょうか。私たち若者を楽しませることが,何より嬉しそうでした。

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