阿久根の地名由来
阿久根という地名は,「阿久」と「根」に分けて考えるのが一般的だと考えます。「阿久」は,「阿久津(あくつ)」や「圷(あくつ)」と同じく,低湿地を意味すると考えられます。

阿久根市全体の地形の特徴として,東は紫尾山から連なる出水山地の麓に位置し,西は黒之瀬戸や川内川に挟まれた東シナ海沿いの平地の狭い地域です。古くから海上交易が盛んな地域でした。昔は大きくゆるやかな川の河口が主な湊でしたので,岩場が多く季節風が強いこの地域には良港といえる湊は少なかったのです。その中でも次の幾つかの天然の良港がありました。
①番所ノ鼻や寺島のある脇本浜湊,②倉津ノ鼻や母子島に近い阿久根湊,③赤崎鼻やクレコシマのある高之口湊,④平瀬鼻や西方川がある西方湊などです。

また,古地図や字図がなく,元々阿久根という地名が何処から発生したのか明確ではありませんが,高松川と大橋川の河口にある阿久根湊周辺の低湿地帯辺りであるならば,阿久津由来が考えられます。「好字二字令」で,もともと台地の下の低湿地を指す「圷」から「阿久」に転じた可能性があります。実際に「悪津(あくつ)や悪根(あくね)」と表記されていた地名も存在します。また,「根」は台地や山のふもとを意味します。以上を踏まえると,「阿久根」は高松川や大橋川沿いの「山麓の河口近くの低湿地帯」という意味と考えられるのではないでしょうか。

牛之浜と人形岩
海岸近くの「牛」のつく地名は「潮」のことで,海の満ち引きによる海水の流れがある海岸沿いに多い地名で,牛深をはじめ全国的に多い地名です。

夕日が沈む人形岩の姿は綺麗で伝説が生まれるのも分かります。北薩でも絶景地の一つです。地元では,子どもを抱えた母子の姿に見えることから,漁から帰らぬ夫の無事を祈り続けたまま息絶えた母子を不憫に思った海底の神様が,岩の塊に変えてしまったという伝説が語り継がれているそうです。

近くで見ると,凝灰岩の角張った岩が多く混ざっており,表面もごつごつした岩で,手で触ると突き刺すように痛いでした。火山から噴出した細かい火山灰が降り積もって水中で堆積した岩石「凝灰角礫岩」と言うそうです。

人形岩物語
遥か昔,昔の話です。現在,サンパチと呼ばれている島の洞穴の中に,働き者の若い海彦殿の夫婦が,可愛い赤ん坊と一緒に住んでいました。 若い男はいつものように,丸木舟を操りながら漁をしておりました。 ところが,天候が急に変わり,一陣の風にあおられて,一瞬のうちに小舟は転覆し,男は水中深く沈んでしまいました。 若い母親は赤ん坊をしっかり抱きかかえて,じっと座ったまま夫の無事を祈りつづけ,洞穴の中でひたすら待ち続けましたが,そのまま息絶えてしまいました。それを不憫(ふびん)に思った海底の守り神は,乳飲み子を抱いた母親が座っているような形の岩に,母親と赤ん坊に変え,又,海の底に沈んだ若い男も,小舟と共に岩の塊(かたまり)に変えました。 悠久の長い時が流れて,洞穴の周りは浸食の果てにくずれ,乳飲み子を抱いた母親の形の岩が現れました。いつの頃からか定かではありませんが,その岩を「人形岩」と呼ぶようになりました。ただ,ひたすら祈る人形岩に会いに,小舟に乗った人の形に岩が海底から現れて親子水入らずで語り合う光景を,運の良い人なら観ることができるかもしれません。 西方地区コミュニティ協議会設置の案内看板から |
・ 阿久根浜唄
牛ノ浜駅に阿久根浜唄の石碑がありました。聴いたことはありませんが,浜の船頭唄なのでしょうか。踊りたくなるような歌詞で,楽しくなりそうですね。
一, ハー 阿久根名所は大島美浜よ 鹿がよろこび袖引き招くよ
二, ハー 親が育てたこの海浜でよ 俺も行きたや後追い舟でよ
三, ハー 月の美浜に恋波寄せてよ 冴える浜唄そぞろにしのぶよ

赤い鳥居の建つ「すみっ瀬」
沖に浮かぶ「すみっ瀬」と言われる高さ20mの岩礁の上には赤い鳥居が建っています。牛ノ浜駅から少し下った海岸道から夕陽が沈む時間帯は最高の景色が見れます。海岸に露出する岩石は,緑色凝灰岩や泥岩,砂岩の層がいくつも混ざった岩場で引き潮の時はこの岩礁の近くまで行けます。

・すみっ瀬岩

・オレンジ鉄道「牛ノ浜駅」
頼山陽公園
牛ノ浜駅の近くに,頼山陽の石碑が建てられた公園があります。この地を訪れた晴れた日の東シナ海を眺め,頼山陽が絶賛し,詠んだ詩が石碑に刻まれています。
・ 阿嵎嶺(頼 山陽)
危礁乱立す 大濤の間、眥を決すれば 西南 山を見ず、鶻影は低迷し 帆影は没す、天水に連なる処 是台湾
・ 現代語訳「とがった岩礁が,大きな波の間に乱立しています。目を凝らして西南の方角をにらんでも,山影は見えません。タカの影は空を低くさまよい,船の帆影も波間に消えていくのです。空と海とが一つにつながって見えるその彼方にあるのが,台湾なのでしょうか。」
