歴史・自然(78) 徳之島初代島主「首里之衆」 ・秋徳湊(亀徳港) 「伊仙歴史民俗資料館」の資料によると,道の島(奄美諸島)が琉球の支配下に入った時期についてははっきりしないようです。琉球による大島討伐以降,奄美の島々には琉球王府から役人が派遣されたり,現地の按司を役人に任命したりしてい... 2024.06.01 歴史・自然(78)離島(奄美)の歴史(15)
歴史・自然(78) 薩摩の琉球征伐「秋徳湊の戦い」 徳之島勤務時代に知り合った平山家の方から,首里之主一統の系図「大殿地祖先系図」のコピーを手にいれました。本県においては,琉球国による奄美征伐や薩摩による琉球征伐に関する史料が非常に少ないなか,当時の状況を知る手がかりとしてこの系図に含まれ... 2024.05.29 歴史・自然(78)離島(奄美)の歴史(15)
大隅半島の歴史(8) 桜島・牛根の地名由来 桜島の地名由来について(桜島町郷土誌) ・江戸期の図絵「牛根から見た桜島」 古書には桜島のことを向島(向之島)と書かれたものが多く,桜島が鹿児島の向こうにあるからという説や東西南北いずれにも面しているためという説もあります。※ 江戸期以前、... 2024.05.06 大隅半島の歴史(8)歴史・自然(78)
大隅半島の歴史(8) 桜島と牛根の埋没鳥居(2) 牛根稲荷の「埋没鳥居」 桜島大爆発の痕跡を探しに,桜島の黒神と垂水市牛根の稲荷神社の「埋没鳥居」を訪れました。桜島の黒神から国分方面に向かうと,大隅半島の付け根に架かる美しい牛根大橋が目に飛び込んできます。橋を渡るとすぐに牛根麓漁港が見え,... 2024.05.03 大隅半島の歴史(8)歴史・自然(78)
大隅半島の歴史(8) 桜島と牛根の埋没鳥居(1) 世界的なプレートを有する火山列島日本は,大地震が頻発する国です。また,ある周期や法則性で災害が発生していることも周知の事実です。多くの人が住む鹿児島市に至っては全国有数のカルデラや桜島を擁することから,他の地域よりも災害について常に考えて... 2024.05.01 大隅半島の歴史(8)歴史・自然(78)
歴史・自然(78) 惟宗広言と丹後局 丹後局舟着場跡(市来駅) 島津家の伝承によれば,初代忠久は,源頼朝の乳母比企尼の長女である丹後局が,頼朝の寵愛を受けて産んだ子どもとされます。その忠久が薩隅日三州の守護職となり薩摩に下向した際,生母の丹後局も同行し,その船が現在の市来駅近く... 2024.04.08 歴史・自然(78)
歴史・自然(78) Ⅱ 徳光神社 ・ 徳光神社・ 前田利右衛門生誕地徳光神社案内板より 指宿市の山川岡児ケ水(おかちょがみず)には,さつまいもを広めた前田利右衛門を祭る徳光神社があります。利右衛門は1705年河野家の船で琉球に渡り,そこで食べた芋の種を持ち帰りました。芋の原... 2024.03.05 歴史・自然(78)
歴史・自然(78) Ⅰ 正龍寺と福元墓地 旧正龍寺跡の石塔群 県内には多くの石塔群を有する寺院がありました。明治の廃仏毀釈(日本で最も激しかった藩)により場所や名称を変えた寺院,案内板だけの跡形もなくなった寺院もあります。そんな中,この寺の石塔群はかつての姿を残している数少ない寺院... 2024.03.05 歴史・自然(78)
地名散策(15) 幸加木川上流の木村探元の墓と六地蔵塔 木村探元の誕生地(平田)と墓(小野)・ 幸加木神社入口の探元の墓地 木村探元は,薩摩を代表する全国的に有名な絵師ですので詳細については割愛します。木村家は,小野町の高嘉木(幸加木)から興った家系で神社の入口に木村家代々の墓と探元のものが... 2024.01.31 地名散策(15)歴史・自然(78)石塔「六地蔵塔・宝篋印塔・板碑」(6)
歴史・自然(78) 意外と少ない薩摩の殉死につ《R6》1月8号 1 徳重神社の殉死の碑「義弘公の13人」 案内板には以下のように記されています。「元和5年(1619年)7月21日,義弘公(享年85)が没すると,その恩顧を受けた家臣たちが後を追って殉死しました。当時,薩摩藩では殉死が禁じられていましたが,... 2024.01.28 歴史・自然(78)