現場に着くと
「忘れられないKさんの話」の続きです。
私たちは連絡を受けると,急いで現場へ向かいました。電話口での切迫した様子から,到着が遅れれば何か言われるのではないかと思うほどの緊迫感があったからです。
ところが,現場に着いてみると,そこにはKさん以外,誰の姿もありませんでした。事故を知らせてくれた女性の姿も,車も見当たりません。当時はまだ携帯電話が広く普及しておらず,私自身もその年の正月にようやく持ち始めたばかりでした。現場へ向かう道中も公衆電話すらない田舎道が続いています。いったい,あの女性はどこから学校へ電話をかけてくださったのだろう。そんな疑問が頭をよぎりました。

第一発見者
担任の先生と現場を見たとき,確かに一見すると交通事故のようにも見えました。帰りの車中で,「あの方は一体どこから電話をかけてくださったのでしょうね」と二人で話したことを今でも覚えています。
現場は田舎道で,周囲には5,6キロにわたって民家もなく,公衆電話もありませんでした。その場から電話をかけることはまず不可能です。おそらく一度ご自宅まで戻られ,それでも子どものことが気になって学校へ連絡してくださったのでしょう。

後になって考えると,もし本当に子どもが交通事故に遭って倒れていると認識されていたのであれば,その場を離れたことについては,道義的な観点からさまざまな受け止め方があるのかもしれないと,今でも少し複雑な思いが残っています。
もちろん,だからといって,その方を責めるつもりはまったくありません。連絡をくださったこと自体,本当にありがたいことでした。当時はまだ携帯電話も広く普及しておらず,学校へ知らせることが最も確実だと考えられたのかもしれません。また,突然そのような場面に遭遇すれば,誰でも動揺し,必ずしも冷静に最善と思われる行動が取れるとは限らないでしょう。
今振り返れば,あの一本の電話には,「何とかしなければ」という善意と切迫した思いが込められていたのだと思います。そのことだけは,今でもありがたく感じています。
その後,私たちは,「もし本当にひき逃げ事件であれば,第一発見者として事情聴取を受け,場合によっては容疑者の一人として疑われる可能性もある。だからといって目の前で倒れている子どもを放っておくこともできず,警察へ通報すれば名前を尋ねられるため,まず学校へ連絡されたのではないか」ということに落ち着きました。

そう考えるようになった背景には,その数か月前に起きた別の事故での出来事でした。学校近くの事故が多い場所で,高齢者がバイクの運転を誤って道路下の海岸へ転落し,翌日に遺体で発見される事故があったのです。その際,親しくしていた駐在さんから,「現場で亡くなられた方を指さしている写真を撮らせてほしい」と協力を依頼されましたが,私は出張中のKさんの担任に代わって授業に入っていたため,お断りしました。後日,駐在さんにその後の様子を尋ねると,「目撃者がいなかったため事故処理が難航し,もし協力を引き受けていたら,何度か警察署へ来てもらう必要があった」と聞かされました。その言葉は,第一発見者或いは現場を目撃した者が負う責任の重さを物語るものとして,今でも強く印象に残っています。
通報と救護措置の法的責任
運転中に事故現場を目撃した場合,その場に誰もいなければ,多くの人は負傷者の様子を確認し,119番通報などの救護措置をとるはずです。そのような対応をしていれば,道義上の責任を問われることは通常ありません。しかし,相手が子どもであったり,地域のつながりが深い小さな田舎であったりすると,「なぜ助けなかったのか」と田舎特有の責任を問われることはあり得ます。通常,事故現場を目撃しただけで一般人が通報する義務は法的にないようです。

一方,自らが事故の何らかの当事者である場合には,状況を確認せずに救護や通報など必要な措置を怠れば,救護義務違反などの法的責任を問われる可能性があります。また,被害者の症状が悪化したり,後遺障害が生じたりした場合には,損害賠償責任を負うこともあります。こうしたことまで考えると,「できれば関わりたくない」と感じてしまうのが,多くの人の率直な気持ちなのかもしれません。
若者たちの行動規範
余談ですが,今から10年ほど前,最後に勤務した学校で,子どもたちに「将来なりたい職業」を尋ねたことがあります。まだユーチューバーが人気職業として広く定着する前でしたが,男子の何人かが「ユーチューバーになりたい」と答えていました。ちょうどその頃,衝撃的な動画を作成して注目を集めようとするあまり,行き過ぎた行動に及ぶユーチューバーが現れ,社会問題として取り上げられ始めていました。
そんなとき,ある人身事故に関するニュースのコメント欄に,事故現場に大勢の若者が集まり,一斉にスマートフォンで動画を撮影していたにもかかわらず,誰も警察や消防へ通報しなかったという記事を目にしたことがあります。おそらく,一人一人が「誰かがすでに通報しているだろう」「目立ちたくない」「不審者と思われたくない」など考えていたののかもしれません。

しかし,もし自分がその被害者だったとしたら,大勢の人にスマホを向けられ動画だけを撮られ,誰一人として助けを呼んでくれなかったと知ったら,どのような気持ちになるでしょうか。そのことについて,子どもたちに意見を出させ考えてもらいました。
周囲に人が多いほど,「誰かが助けてくれるだろう」「自分が動かなくても大丈夫だろう」と考えてしまうことがあります。そのような心理は,決して他人事ではなく,私たち誰にでも起こり得るものなのかもしれません。

もちろん,これだけで若い世代全体を語ることはできません。実際には,危険を顧みず人命救助に当たり,尊い命を救った若者たちのニュースも数多く報じられています。大切なのは「誰かがやる」ではなく「自分が行動する」という意識を持てるかどうかなのでしょう。
Kさんの出来事は,子どもたちの安全管理はもちろん,地域の人々との支え合いや,緊急時に一人一人がどう行動すべきかを改めて考えさせられた出来事でした。
傍観者への生徒指導

| 学校の生徒指導では,加害者への指導や被害者への支援の在り方は比較的明確ですが,「傍観者」への指導は最も難しい課題の一つです。傍観者の多くは「自分は何もしていない」と考え,自分の行動を問題として受け止めにくいうえ,「止めたら自分が標的になる」「友達を裏切ると思われたくない」という同調圧力や不安から行動できないことも少なくありません。 そのため,「傍観するな」と責めるのではなく,「一人で止められなくても先生や大人に知らせることも勇気ある行動です」と繰り返し伝えることが大切です。 心理学でも「傍観者効果」が知られており,人は周囲に人がいるほど「誰かが助けるだろう」と考えて行動しにくくなるとされています。だからこそ,「止めた子」だけでなく,「先生に知らせた」「被害者に声を掛けた」「大人につないだ」といった行動も積極的に評価し,人には誰でも迷いや葛藤があることを理解させながら,命や人権に関わる場面では勇気をもって行動する大切さを伝えていくことが重要だと思います。 |

