四国の旅

大歩危・小歩危

 大歩危・小歩危は,吉野川が四国山地を深く削ってできた峡谷です。周囲には標高1000mを超える山々が連なり,険しい山並みと深い渓谷が続いています。また,祖谷地方の名所として知られる「かずら橋」は,剣山を源流域とする祖谷川に架かる,スリル満点のつり橋です。こうした険しい山々に囲まれた祖谷には,独特の自然と昔ながらの山里の風景が残っていました。

 今回の四国の旅では,祖谷のかずら橋に続いて,前回訪れたときには見つけられなかった屋島の「駒立岩」にも足を運びました。ここは,源平合戦の名場面として知られる,那須与一の「扇の的」にゆかりのある場所です。

 近くには,与一が扇を射る前に祈ったとされる「祈り岩」と,馬を立たせたと伝わる「駒立岩」があります。平家が掲げた扇を見事に射抜いたのですから,与一はさすが歴史に名を残す武将です。70~80mも離れた,波に揺れる船上の扇を射抜くのですから,その場にいた源氏と平家の兵士たちも,固唾をのんで見守っていたことでしょう。

・屋島の古戦場「祈り岩と駒立岩」

平家の落人伝説

 この一矢は,源氏の勝利を印象づけるとともに,源平合戦を代表する名場面として,今も語り継がれています。そして,やがて訪れる平家の滅亡を思うと,何とも感慨深いものがあります。

 屋島や壇ノ浦の戦いに敗れた平家の人々が,追っ手を逃れて各地に移り住んだという落人伝説は,四国にも残っています。その代表的な場所の一つが,徳島県の祖谷地方です。険しい山々に囲まれたこの地に,平家の人々が身を隠しながら暮らしたという伝説が伝わっています。そんな話を思い浮かべていると,源平合戦に敗れた平家の人々も,その後の源頼朝や義経,さらにはその子どもたちの悲しい運命を知ったなら,源氏への恨みも少しは和らいだのではないか,などと想像してしまいます。

 全国各地には,今も数多くの落人伝説が残っています。鹿児島にも本土や離島を問わず各地に伝わっていますが,その多くは平家の落人にまつわるものです。一方,関ヶ原の戦いなど,後世の合戦に関わる落人伝説と比べると,その数には大きな違いがあります。  
 こうした落人伝説の多くは,必ずしも史実に基づくものではなく,後世の人々が語り継ぐ中で形づくられてきた話が殆どではないでしょうか。武士にとって,合戦による離散や主君を替えての再仕官は珍しいことではありません。しかし,拝領した土地を離れ,名前まで隠して暮らすことは,武士としての身分や生き方を捨てることになります。いつか再起を果たす望みがあったとしても,何十年にもわたって逃げ隠れしながら暮らすというのは,現実には考えにくいことです。むしろ,悲しい最期を遂げた人々への同情や敗者への思いから,後世の人々が生み出した人情味あふれる物語が,各地の落人伝説として残されてきたのかもしれません。  
 ところが,今回,大歩危・小歩危を訪れてみると,不思議なことに,この地に限っては,落人伝説が本当にあったのではないかと思わせるような雰囲気が漂っていました。深い渓谷と険しい山々に囲まれ,外の世界から隔絶されたような山里。そこで暮らす人々の姿を眺めていると,遠い昔,戦乱を逃れてこの地にたどり着いた人々の姿が,ふと重なって見えるような気がしたのです。史実かどうかということを超えて,こうした土地の風景や空気が,落人伝説を生み,今日まで語り継がせてきたのかもしれません。

『つり橋わたれ』の山びこの精

 ところで,『つり橋わたれ』に登場する山びこの精の男の子も,祖谷に逃れてきた平家の子どもの霊だったと考えると,何とも面白いですね。山びことなって,何百年もの間この山に住み続けていたのかもしれません。

 故郷を失い,遠い山里で暮らすことになった自分の境遇を,トッコに重ね合わせていたのでしょう。そして,一人ぼっちのトッコを放っておけず,山の子どもたちとの出会いへと導いてくれたのかもしれません。そんなふうに物語と歴史を重ねて考えると,今回訪れた祖谷のかずら橋も,屋島の駒立岩も,また違った意味を持ってきます。800年近い時を経て,源氏と平家の人々の争いも,今では遠い昔の出来事となりました。故郷を離れ,それぞれの思いを残した人々の魂も,この美しい山や海の風景の中で,ようやく安らかに眠っているのではないでしょうか。

40年前の子どもたちの想像力

 実は,前回紹介した研究授業のとき,子どもたちの感想の中に,こんな意見がありました。「この男の子も,山びこの精になる前はトッコと同じように寂しい思いをした転校生だったのではないか」と,子どもならではのとても豊かな想像力から生まれた意見でした。しかし,当時の私は,こうした発想を授業の中で十分に取り上げ,話を広げるだけの力量がありませんでした。そのまま聞き流してしまったことが,今でも心に残っています。

 もちろん,物語の叙述に沿って読み取ることは大切です。しかし,「想像豊かに読み取る力」を育てるという点から考えると,もっと子どもたちの思いに耳を傾け,その発想を大切にできたのではないかと思います。今回の旅では,そんな40年ほど前の授業の一場面まで思い出しました。800年近い時を超えた空想と,かつての子どもたちの感想が,思いがけないところでつながったような気がします。

 源平合戦の名場面といえば,一ノ谷の戦いでの義経の「鵯越の逆落とし」,屋島の戦いでの那須与一の「扇の的」,そして壇ノ浦の戦いでの義経の「八艘飛び」などが思い浮かびます。今回,その一つである屋島の戦いの舞台を訪れることができました。

 ただ,長い年月が流れ,海岸線は埋め立てられ,かつての海の一部が運河になっているところもあります。そのため,当時の合戦の様子を思い浮かべるのは,なかなか難しいものでした。それでも,この地で繰り広げられた激しい戦いや,歴史に名を残した人々の姿を想像すると,何とも感慨深いものがあります。天皇や貴族が政治の中心だった時代から,武士が政治を担う時代へと移り変わっていく。屋島は,そんな大きな歴史の転換期を物語る場所の一つです。実際にその地に立つと,目の前の風景だけでなく,はるか昔から続く歴史の流れにも思いを馳せることができました。

手に乗ってきた野鳥

 今回の旅行では思いがけず楽しい出来事がありました。金比羅山の参道を歩いていると,ジョウビタキに餌付けをしている人を見かけました。お願いして近くで写真を撮らせてもらっていると,なんと,その鳥が妻や私の手にも乗ってきたのです。

 小さな体で,ちょこんと手に乗る姿は何とも愛らしく,思わず笑顔になりました。最近は,野生のスズメが人の手に乗る動画なども見かけますが,実際に自分の手に鳥が乗ってくると,そのかわいらしさは格別です。普段は少し離れたところから眺めることの多い野鳥ですが,これほど近くで見ると,羽の色や目,くちばし,足の動きまでよく分かります。改めて,野鳥の魅力を感じるひとときでした。

 そういえば,私が子どもの頃には,罠を仕掛けてスズメを捕まえたこともありました。当時は,カスミ網や鳥もちなどを使って野鳥を捕まえることも,珍しいことではありませんでした。しかし,その後,こうした捕獲方法は法律で厳しく規制されるようになり,野鳥を捕まえることは簡単にはできなくなりました。

 一方,最近はスズメそのものを見かける機会も少なくなったように感じます。普段,目にする鳥といえばハトやカラスが多く,かつてはどこにでもいた身近なスズメも,いつの間にか珍しい存在になってきました。なお,野鳥への餌やりが一律に法律で禁止されているわけではありませんが,餌付けによって野鳥の生態や周囲の環境に影響を与えることもあります。野鳥との付き合い方には,そうしたことへの配慮も必要なのでしょう。

 思いがけず手のひらに乗ってきた小さな野鳥との出会い。歴史や文学に思いを巡らせた旅の中で,こうした自然とのふれあいも,また忘れられない思い出になりました。

タイトルとURLをコピーしました