小野鶴之村と聖宮の六地蔵塔【R5】8月1号

・ 小野鶴之村(お乃湯近く)の六地蔵塔

 貴久公は当主になった翌年,第9代忠国公の弟で出水の薩州家の島津実久が謀反を起こした時,清水城を出て小野の園田家の聖宮にかくまわれ難を逃れた。このことから小野の中央部の鶴之村と聖宮入口に六地蔵塔を2基建立した。聖宮の六地蔵塔は山奥のせいか綺麗に残っているが,鶴之村の方は廃仏毀釈のため欠損が多く,不明瞭(特に尊顔が潰れている)なものになっている。

 島津貴久公(1514~1571)の時代は勝久や薩州島津家との三つ巴の争いやその後の渋谷氏,肝付氏との抗争など争い続きで苦難の時であった。1560年頃「敵味方の戦死者の霊を弔うため」に,六面に一体の地蔵尊を刻んだ石塔を鹿児島・宮崎両県に50基建てたそうだ。

・第1面・第2面・第3面

・第4面・第5面・第6面

・六地蔵塔の説明板「鹿児島市教育委員会」

タイトルとURLをコピーしました