平之町の平田公園
平田橋近くで国道３号線が直角に曲がる辺りが平之町です。子どもの頃，天文館へ遊びに行くときは必ず通る場所で，夏場は樹木で日陰となっていた平田公園で一休みするのが好きでした。
全国的に「ヒラ」とつく地名には「平」の字が当てられ，平地を思わせますが，実は坂や斜面を指します。平之町は城下の北西部に位置し，城山の麓で甲突川（外堀）に接する要衝の地でした。
中福良の御着屋
江戸初期，平之町は地名の通り城山の傾斜地になっていました。甲突川はこの辺りから天文館方面「①中福良(川の途中がふくらんで流れが緩やかな所)」「②御着屋(鎌倉時代の湊役所・御着屋の俊寛堀から俊寛が遠島の際の出港した所)」へ流れていました。平之町の斜面を削った土を甲突川に流し，当時海だった天文館周辺を埋め立て，川筋を西に動かしながら広大な城下を築いていったのです。
・清滝川(平之町～西千石町・清滝公園～中央高校～天文館公園～清滝川通り～清滝川)
城山が起源の一つの清滝川もこのときの流れになります。その際，土砂が堆積し中州が盛り上がった場所が現在の「高見馬場」で，今でもわずかに高くなっていることが分かります。
当時の薩摩藩は石高も高く全国有数の治水・土木技術を持っており(幕府に目をつけられ…)，後の平田靱負による木曽川治水工事へとつながった因縁の地となったのです。
また，江戸時代を通じ，この地は戦時の防衛の要として，家老級の武士が居住していました。現在の平田公園は，薩摩藩の家老・平田靱負の屋敷跡であり，その隣には同じく重臣であった調所広郷の屋敷もありました。
・ 平田靱負と調所広郷屋敷跡(平之町)
岩切重雄とは
さて，岩切重雄氏は明治２１年この地で生まれ鹿児島のために尽力した政治家・財界人で，あの「サザエさん」の作者・長谷川町子氏の伯父に当たる人ですので少し紹介いたします。
岩切重雄（1888～1980）は，大正から昭和前期にかけて，衆議院議員（４期）や終戦前後の第１３代鹿児島市長を務めました。彼は鹿児島市平之町の出身で，岩切仲二(町子の祖父)の長男として生まれ，鹿児島県立第一中学校，第一高等学校，東京大学を経て内務省に入省し，その後政治家になりました。鹿児島における典型的なエリート街道を歩んだ人物です。
・岩切重雄鹿児島市長
衆議院議員として，「挙国一致内閣」と呼ばれる政権のもと，戦争や恐慌，さらにはテロが横行する時代に，政府の商工・経済部門の窓口となる内閣商工参与官や商工政務次官を務めました。昭和7年には，彼の選挙応援演説に訪れる予定だった大蔵大臣経験者の井上準之助が射殺されるという事件が発生しました。
この激動の時代である昭和9年，サザエさん一家は伯父を頼り，町子14歳，姉17歳で東京へ移住しました。決してテレビ小説『マー姉ちゃん』で描かれているようなのん気な時代ではなかったのです。長谷川町子一家にとり，伯父・岩切氏は父親のような存在だったのでしょう。
岩切は終戦の年の昭和20年12月に鹿児島市長を辞職し，間もなく公職追放となりました。1952年（昭和27年）の総選挙に立候補しましたが落選。その後は，会社社長や三州倶楽部名誉会長，交詢社常議員議長などを歴任し，経済界にも幅広い人脈を持っていました。
サザエさんの伯父さん
・NHK連続テレビ小説「マー姉ちゃん」
ところで，岩切重雄は，漫画『サザエさん』の作者・長谷川町子の母の兄にあたる人物でもあります。「マー姉ちゃん」では，町子の伯父「岩村透一郎」役を小泉博氏が演じていました。
かつて鹿児島市ＰＴＡ研究大会の分科会で，登壇者のある公民館役員の方から「サザエさん誕生の大きな後ろ盾となった岩元市長」の話を伺いました。その方は岩元市長の平之町の実家近くに住んでおり，市長とも親しくされていたそうです。
サザエさん通り
・ 福岡市ももち浜の『サザエさん通り』モニュメント。
福岡市早良区には駅から海岸を結ぶ約１・６キロメートルの「サザエさん通り」があります。その中に長谷川町子生誕百年を記念して，「サザエさん・カツオ君，ワカメちゃんの銅像」が建てられています。
東京や福岡，佐賀県などはサザエさんに関連する地として紹介されることが多いですが，鹿児島・平之町での町子の母や祖父母，伯父に関する話はほとんど知られていません。もちろん「サザエさん」誕生は，長谷川町子自身の優れた才能があってこそですが，戦前・戦中の混迷の時代において，叔父である岩切氏の物心両面の支えがなければ，創作活動のみならず生き抜くことさえ困難だったことでしょう。
また，１８歳の姉・長谷川毬子（マー姉ちゃん）を洋画家・藤島武二（鹿児島市池之上町出身）に弟子入りさせたり，１５歳の町子を漫画家・田河水泡に師事させたりしたのも，岩切氏が大手出版社を通じて話をしてくれたそうです。日本が戦争に突入しようとしていた時代，企業が若い女の子の話を聞くはずもなく，大きな力がないと無理なことばかりです。
『マー姉ちゃん』第４話「父の一周忌」のセリフより
・朝ドラ「マー姉ちゃん」より
| ① 町子の伯父より はるの兄でございます。今はるが申しましたようにたった一人の兄でありながら，東京という離れた所に住んでおりますので心にかかっていてもどうしてやることもできません。本当に女だけのこの一年間無事に過ごしてきましたのも皆様のお陰です。亡き磯野に代わりまして御礼申し上げます。 ② 町子の母はるより 私ども磯野家４人は，長女まり子の筑前高女卒業を期に，東京へ移り住むことに致します。今日のことは磯野が亡くなった時に，兄からも勧められておりました。しかしどうしても離れる気持ちにはなりませんでした。磯野と暮らしたこの福岡から，この西陣を。そして皆さまもご存じのように磯野のいないこの寂しさに泣き崩れておりました。でも一年経って気が付いたのです。こうして泣き暮らしていくことの行く末を。私はそれで，長女のまり子にかけてみました。もしまり子の絵が世の中に認められたら，展覧会に入選したら，そうしたら上京しようとそして入選いたしました。これみんな神の御心だと思います。これから私，娘たちの将来を考えまして東京でもっと専門的な教育をさせたかとです。 |
岩切氏が助役時代に手掛けた城山自然遊歩道
城山自然遊歩道は，ウォーキングやジョギングに多くの人が利用する登山コースです。特に夏場は樹木が日陰を作り，涼しく快適な散歩コースとなります。
「郷土人系」によると，黎明館裏の城山登山道は，30代の若き岩切重雄氏が助役時代に発案したものとされています。彼の自宅は国道３号線沿いの平之町にあり，城山には幼い頃から毎日のように登っていました。市役所までの道沿いにそびえる城山に登山遊歩道を整備したいという思いから，この計画が生まれたと伝えられています。この工事を進めるためにクスノキを数本切ってしまい，島津氏一門の上原勇作元帥に怒鳴られたとのエピソードも残っています。
・「城山道路開鏨記念碑」
陸軍大将 菱刈 隆
日下部姓岩切氏とは
甲突川左岸の平之町や西千石町には，いわゆる「千石取り」と呼ばれる上級武士の屋敷があったところです。明治期までの平之町出身者は，ほぼ薩摩藩の上級武士の家系ですが，岩切氏については鹿児島ではあまり聞き慣れない一族です。
安政６年（１８５９年）や天保１３年（１８４２年）の城下絵図にも岩切氏の名は見当たらず，その出自は明確ではありません。しかし，岩切重雄の父・仲二の「仲」という名乗りに着目すると，書籍『本藩人物誌』『さつま歴史人名集』『郷土人系』などにいくつか記載されており岩切一族の系譜と関連性を窺い知ることが出来ます。
その中で「仲」の名乗る一族の一つに，島津義久の国分衆の日下部姓岩切氏があります。この一族は，八木氏・土持氏・海江田氏などに繋がり，その出自は日向国本郷岩切村（宮崎市）に起源を遡ることができます。島津忠良の代に家臣として召し抱えられ薩摩に移り住んだ岩切氏に当たると考えられます。ただし，これはあくまでも個人的な推論です。
※ 戦前から戦後までの激動の時代，国政や市政という重責を担った政治家・岩切重雄。もう少し評価されてもいいのではないかと思われます。せめて案内板でもいいのですが…。
