私の家では,小学校に入るまでクリスマスという行事がありませんでした。母は「キリスト教徒でもないのに,なぜクリスマスをする必要があるのか」という考えを持っていたからです。今思えば,母自身の親友や親戚たちが戦争で亡くなった辛い体験があったからなのかもしれません。

・朝ドラ「マッサン」が始まりました。「スーパーニッカウィスキー」
しかし,周囲の友人たちの家では事情が違いました。筆箱や洋服,靴などのプレゼントを嬉しそうに見せられるたびに,私はすごく羨ましかったのを覚えています。ちなみに妻は,お菓子の入った赤いくつを毎年楽しみにしていたそうです。

小学低学年の頃,近所に何でも揃う雑貨店がありました。看板には「〇〇百貨店」と書かれていましたが,どう見ても町の小さな雑貨屋でした。その店の長男を父が担任していた縁で,店のおばさんと母は親しくしていました。その付き合いから,ある年,母が初めてクリスマスケーキを買ってきてくれたのです。

クリスマスケーキ
ケーキは,食器棚の上の段に,箱に入れられて三,四日前から水屋の一番上の段に隠すように置かれていました。兄がそれに気づき,二人でこっそり眺めていたのを覚えています。ある晩,私がそっと棚から箱を下ろしてみると,バタークリームで作られた花の飾りが,少しなくなっていたことに気づきました。兄の仕業だと思い,私も反対側の花を一つだけ口にしました。それは,それまで味わったことのない,甘くて初めて味わう美味しいケーキに驚きました。

翌日,また箱をのぞいてみると,さらに食べた跡がありました。私は兄の仕業だと確信し,今度は私も少し食べました。こうして次第にエスカレートし,食べた量が目に見えて増えていきました。そして三日後ついに,ケーキの上にあった飾りの花はすべて消えて,ケーキの台だけになっていました。二人とも怖くなって知らん顔を貫こうとしたのです。
いよいよクリスマス・イブの当日です。夕食の後,母は「さあ,みんなに美味しいプレゼントがあるよ」と言って,棚の上からケーキの箱を取り出しました。そして箱を開けた瞬間,「何これ?」と本当に驚いて大声をあげました。私たち兄弟は,互いに「自分じゃない」と言い合い,罪をなすりつけ合いました。その光景は,今でもはっきりと思い出されます。
初めてのクリスマスプレゼント
この話も,同じ雑貨店での想い出です。私は学校へ通う道すがら,いつも立ち寄っていました。毎回店のおばさんがジュース飲ませてくれたからです。その店は,文房具はもちろん,玩具や体操服,帽子,靴まで何でもそろう,また隣はお菓子や飲み物など子どもにとっては夢の溢れる空間でした。

ある日,その店先で,私は一本の青い子ども用の傘に出会いました。手に取っては眺め,名残惜しそうに棚へ戻す。そのことを何度も繰り返していたのだと思います。「○○君は,それが好きだねえ」と,お店のおばちゃんに声をかけられたことを覚えています。
後日その様子を,母が店に立ち寄った際に話したようでした。ちょうどその頃,使っていた傘の骨が折れており,いつも兄のお下がりだったのに,何故か「傘を買ってきていいよ」と母が言ってくれたのです。私は天にも昇るような気持ちで,店まで走って行きました。少し早いけどクリスマス・プレゼントだからねと母は言うのです。我が家は他の友達の家のようにサンタクロースがやってきてプレゼントを置いていくという話は,小学生低学年の頃から無かったのです。

・逆さテルテル坊主
ところが,せっかく新しい傘を手に入れたというのに,雨が降らない日が続きました。早く学校に持って行って,友だちに自慢したいのに,その機会が訪れないのです。毎晩,夜空を見上げてはため息をついていた私を見て,兄がテルテル坊主を作ってくれました。そしてそれを逆さにして部屋に下げてくれたのです。

ある朝のこと目を覚ますと,外は雨が降っていました。私は嬉しくて飛び跳ねました。朝食も食べずに,新しい傘を差して学校へ向かいました。途中で出会う近所のおばちゃんたちにも,これ見よがしに傘を見せながら歩いたのを覚えています。
学校が近づくにつれ,すれ違う人たちが私を見て,どこか怪訝そうな顔をしているのが気になりましたが,「きっと新しい傘がうらやましいのだろう」と,私はすっかり有頂天になっていました。
すると正門であいさつ運動をしていた校長先生が,私の姿を見るなり,「お前,カバンはどうした」と声をかけてきました。その瞬間,私は初めて,カバンを持たずに家を出てきたことに気づいたのです。慌てて家へ引き返し,カバンを取って再び登校しました。当然のことながら遅刻となり,担任の先生に叱られました。しかし,先生はどこか笑っていました。おそらく,校長先生から事情を聞いていたのでしょう。
今思えば,あの青い傘は,ただの雨具ではありませんでした。初めてのクリスマスプレゼントであり,全て兄のお下がりから初めて自分だけの物を買ってもらえた胸いっぱいの喜びとして,今でも大切な想い出の一つです。現代の子どもたちのプレゼントとは異なりますね。
