大口市立布計小学校跡

忠元公園の花見

 先日,伊佐市大口の忠元公園へ花見に行きました。土曜日とあって人出が多く,下の駐車場から歩いて向かうことになりました。自宅からだと少し遠いのですが,週間天気では崩れそうだったので,気象庁の基準の「満開」という情報を頼りに出かけました。

 

 ただ,実際に見てみると,きれいには咲いているものの,まだつぼみも目立ち,体感としては7〜8割ほどで「満開」ではありませんでした。桜の見頃は,やはりタイミングが難しいものだと思いました。特設コーナーで野菜が販売してかなり安かったので購入して,更に山あいの別の桜の名所を探すことにしました。

布計小学校跡

 初任校での校長先生が,若い頃に県最北端の布計小学校で「教頭をしながら担任も受け持っていた」という話をふと思い出し,廃校になった跡地を訪ねてみました。「わたしが初めての教頭になった学校は鹿児島のシベリアと言われる県内で一番寒い学校だった」と,ことあるごとに話を聞かされていたので印象に残っています。

 当時は児童数も7〜8人ほどで2学級。校長先生やもう一人の担任の他,養護教諭や用務員で,事務の先生は近くの中学校と兼務だったそうです。

 初めて訪れましたが,確かに鹿児島県本土の最北端(獅子島や長島北部の小学校が緯度的には北部)にあたる地域で,県内でも特に寒い地域のようです。近くの駅跡で出会った地元の高齢の方に話を聞くと,冬は毎年のように数十センチ雪が積もり,車も動かせないそうです。その方も,この布計小学校の卒業生だそうで,長い間県外で職に就いて定年になってから帰ってきたと話されていました。今では寂れましたが,鉄道が通っていた頃は賑わっていたと聞くと,実際の風景と比べ,少し不思議な気持ちになりました。

布計金山の閉山と学校の廃校

 このあたりに鉄道が通ったのは,明治34年ごろに鉱脈が次々と見つかり,鉱山開発のために山野線が敷かれたのが始まりだそうです。路線としては大正10年(1921年)に開業。一方で学校はそれより少し早く,明治32年4月に創立されているので,当時は林業や農業も地域を支えていたのでしょう。

 校歌に「伊佐の国原登りくる 肥薩の山の国境 ここ布計山の明け暮れを ゆかしく立てる学び舎に 学ぶわれらは幸多し」とあるように,ここは熊本県との県境まで直線で700メートル余り。標高も460メートルあり,水俣市や球磨村に囲まれた山あいの土地です。

 駅跡から南へ下った鉄橋の近くには,薩摩布計金山の精錬所があったそうです。昭和15年ごろに最盛期を迎え,その後は縮小し,昭和22年に採鉱停止,昭和51年に閉山。そして学校も,その3年後の昭和54年3月に静かに幕を下ろしました。土地の歴史とともに,学校の時間もまた,ゆっくりと流れていったのだと感じます。更に昭和63年1月に山野線も廃止されました。

金の産地として発展した時代

 鹿児島県は,活発な火山活動の影響で金の含有量が多い産地として知られています。マグマに熱せられた地下水がさまざまな物質を溶かし,それが冷え固まることで金鉱脈が生まれるそうです。

 現在稼働しているのは菱刈鉱山だけですが,かつては山ヶ野金山や永野金山,鹿篭金山,羽島金山,串木野金山など,多くの金山で栄えていました。そこには人々が集まり町ができ学校もつくられていきました。

 時が経ち,金山の記憶が薄れてくると,「どうしてこんな場所に学校があるのだろう」と不思議に思うことがあります。この布計小学校も,その一つなのかもしれません。今回学校跡を訪れて,校舎内は外からしか見ることはできませんでしたが,教室や校庭など奇麗に整えられていて,地域の人たちに温かく見守られている様子が伝わってきました。かつてのにぎわいが,今も静かに息づいているように感じられました。

布計の地名由来

 布計(ふけ)という地名は多くはありませんが,フセ(・臥)や福・(フク)の転化とも考えられ,「沮」には,「はばむ」や「ふせぐ」,「漏れる」などの意味があり,湿地の多い沢や,小さな渓谷の湿地帯と考えられます山野川沿い形成された,山あいの湿地帯を指していると思われます。小さな渓谷に水が噴き出し,湿地が広がるような場所であると思われます。
~あくまで個人的な見解です~

 地名由来でついでに,湿地帯や扇状地に多い伏流水について話してみます。

 川の上流から流れてきた水が地中にしみ込み,地中を流れる水を「伏流水」と呼ぶそうです。特に,沢から広がった扇状地に多く見られるようです。一般に地下水は雨水が地中に浸み込んだものですが,伏流水の水源は川の水である特徴があります。川を流れていた水が,地下を静かに流れ続けているのです。

 また,このような水の性質は地名にも現れています。川田が川の水を利用した田,山田が山の水を中福良や福田(伏水田)などは,伏流水と深い関わりをもつ地名であることも考えられます。自然の営みが,地形だけでなく人々の暮らしや言葉にも影響を与えているのです。

・学校跡のすぐ横の沢,水が豊富でした。

・渓谷の中に静かに佇む学校

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