柳田國男「海南小記」より「獣肉の呼び方」

 「海南小記」に書かれている日本の食肉文化と方言について私なりにまとめてみます。

仏教伝来と「肉食禁止令」

 日本各地の方言などに「しし」という言葉がイノシシだけでなく,食肉全般を指す総称として用いられ今でも残っていることが分かっています。これは,「しし」という語が古くから食肉を意味する大和言葉であったことをよく示しています。

 また,かつては家庭で鳥獣の肉を調理する習慣や職業として「宍人部(ししひとべ)」が存在し,獣肉は生活と密接に結びついていました。さらに,動物の呼び名にも工夫が見られ,鹿は「カノシシ」や「コウノシシ」,ニホンカモシカは「アオシシ」や「カモシシ」,牛は「タノシシ」,猪は「イノシシ」,豚は「ワノシシ」など「しし」を共通とした呼称が用いられていました。このような多様な呼び方は,獣肉文化の広がりと人々の生活の知恵を物語っています。

・獣肉の呼び方は,イノシシ カノシシ タノシシ ワノシシの他にもあります。

殺生を禁ずる仏教の教え

 日本における肉食文化は,宗教や社会構造と深く関わりながら変化してきました。古くは縄文時代から狩猟や飼育が行われ,人々は肉を日常的に口にしていました。沖縄では「しし」という言葉が肉全般を指すなど,この語が古くから肉を意味する大和言葉であったことがうかがえます。また山で獲った獣肉を分け合うなど,肉は生活に密着したものでした。動物の呼び名にも「しし」を共通とする工夫が見られ,肉食文化の広がりを物語っています。

 しかし,6世紀に仏教が伝来すると,不殺生戒」に基づく殺生忌避の思想が広まりました。この考え方は,日本人が古くから持っていた穢れ忌避の意識と結びつき,次第に肉食を避ける風習を生み出していきます。

肉食を禁じる命令

 こうした背景のもと,675年には天武天皇が「牛・馬・犬・猿・鶏」の肉食を禁じる命令を出しました。特に「四ツ足」を持つ動物を食すことは禁じられました。ただし鹿や猪は対象外であったため,「紅葉」や「山鯨」といった隠語やうさぎを鳥として数えるなどの解釈の工夫も見られ,肉食の習慣は完全には消えませんでした

 また,牛や馬は農耕運搬に欠かせない存在であり,単なる食料以上の価値を持っていました。このような背景から,「頭」「匹」という動物の数え方にも区別が生まれるなど(諸説あり),日本語には生活や社会の在り方が色濃く反映されています。

殺生忌避と厳しい差別

 一方で,中世以降になると動物の解体や皮革加工に従事する人々は,殺生忌避や穢れの意識から差別の対象とされ,居住や職業に制限を受けるようになりました。江戸時代にはこうした身分が制度化され,差別は固定化されていきます。こうした人々は「穢多・非人(えたひにん)」や「四つ」などと蔑称で呼ばれ,士農工商の身分制度の下に位置づけられ,居住地や服装,髪型などを制限され厳しい差別を受けました。

 その後,明治時代の西洋化に伴って西洋料理が導入され,天皇自らが肉食を取り入れたことを契機として,1872年に肉食は公に解禁されました。これにより,日本の食文化や「不殺生戒」は大きく転換しますが,それ以降も差別・偏見は社会的に残っていて,いわゆる部落差別という新たな問題も生じました。

 このように,日本の肉食の歴史は,仏教の影響や社会制度と結びつきながら変遷してきました。そして,「しし」という言葉に象徴されるように,言語の中にもその歴史と文化の深さが今なお息づいているのです。

宍と獅子

 ライオンは日本に「唐獅子」あるいは獅子として伝わりましたが,その起源は仏陀を守護する神獣にあります。「獅」という漢字は成り立ちから「犬の長」を意味するとされ,同じ「しし」と読む食肉のとは区別されます。また,肉食が制限されていた時代には,解釈の工夫も見られました。たとえば,うさぎは跳ねる姿から鳥の仲間とみなされ,「一羽,二羽」と数えることで食用とされていたのです。このように,言葉や認識の工夫には,宗教的制約の中で生活を維持しようとする人々の知恵が表れています。

 

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