横断歩道でのお礼運動

交通事故死が多かった時代

 前回の続きで新入児童への安全指導の取組です。

 私が小・中学校に通っていた頃は,全国の交通事故による死者が年間1万人を超えるのが当たり前で,「交通戦争」と呼ばれていた時代でした。鹿児島県でも毎年200~300人が亡くなり,その中には小・中学生も数十人含まれていたと記憶しています。

 小・中学校時代を通して,クラスメイトが2人交通事故で亡くなりました。一人は自転車事故,もう一人は市営バスの直前を横断しようとして前輪に巻き込まれ即死でした。登校中,ちょうど事故現場近くに居合わせたため,その光景は今でもはっきりと記憶に残っています。

 当時のバスは,車体前方にエンジンを収めたボンネットバスで,私たちは「鼻バス」と呼んでいました。現在のバスに比べて周囲の見通しが悪く,車体の構造上運転手から前方真下が見えなかったのです。そのため,バスの周囲で起きる巻き込み事故もたびたびニュースになっていました。教員になってからも,近隣の学校で,死亡事故を含む重大な交通事故が起きたという話をよく耳にしました。  
 ある朝のことです。登校指導を終えて職員室に戻っていると,後から出勤してきた先生が,「正門で,幼稚園バスに乗ろうとしていた園児がひかれ,亡くなったようだ」と知らせてくれました。私たち職員も急いで現場に向かいました。そこには,血に染まった園児の姿があり,やがて到着したお母さんが,変わり果てたわが子の姿を前に泣き崩れていました。よく見ると,そのお母さんは,私の学級のPTA役員を務めてくださっていた方でした。翌日のお葬式でも,私はそのお母さんに言葉をかけることが出来ませんでした。

 当時は高度経済成長期で,自動車を所有する家庭が急激に増えてきました。父も運転免許を取り,軽自動車で通勤するようになりました。しかし,道路整備は交通量の増加に追い付かず,道幅が狭くて車同士がすれ違うのもやっとという道路が多く,横断歩道や歩道も十分に整備されていませんでした。そのため,用水路や河川にふたをして暗渠化し,道路を広げる工事も各地で行われていました。

 その後,昭和60年(1985年)のシートベルト着用義務化をはじめ,飲酒運転対策や速度規制・取り締まりの強化など,交通安全対策が進められ,横断歩道や歩道,ガードレールなどの道路環境も改善されてきました。その結果,交通事故による死者数はピーク時の2割以下にまで減少し,当時と比べれば,ずいぶん安全な社会になったと感じます。

・地域振興局にも何回となく足を運び,ガードレールや歩道を設置してもらったことがあります。

学校の交通安全指導

 前任校が小規模校だったこともありますが,転勤してまだ数か月しかたっていないのに,救急車を呼ぶほどの怪我や事故が多い学校でした。校外だけでなく,校内でも廊下でぶつかったり,階段を踏み外したり,昼休みに校庭でけがをしたりと,事故やけががやたらと多かったのです。廊下には「走ったらストップ・3秒ルール」など,昔からの決まりが掲げられていましたが,ほとんど守られていません。ルールがあっても,形だけのものになっていたのです。

 そこで思い出したのが,初任校で取り組んでいた「お礼運動」でした。横断歩道を渡らせてくれた車の運転手に,子どもたちがお辞儀をして感謝の気持ちを伝える取組です。今では多くの学校で行われているようですが,25年以上前は,まだそれほど一般的ではありませんでした。

 初任校は地方の小規模校で,学校前を通る車は地元の人たちがほとんどでした。窓を開けて子どもたちに挨拶をしてくれる人も多く,学校前では自然と安全運転が行われていました。一方,規模の大きな学校では,朝の通勤時間帯に実施すると交通渋滞を招く心配もあり,導入には慎重な学校が多いでした。しかし,4月からの新入生の登下校の様子や飛び出し事故の多さを考えると,すぐにでも対策が必要でした。ルールを繰り返し指導するだけでは,事故を防ぐことは難しいと感じていたのです。

 学年朝会でお礼運動の目的や方法を「急いでいるのに止まってくれてありがとう運動」ありがとうと言われた運転手はどんな気持ちになるのでしょうと尋ねると「うれしいはずです」するとどうなりますか。また明日も止まって通してあげようと思うと思います。そうですね,その運転手は次の交差点でもその次の交差点でも子どもたちを見たら安全運転をしてくれるかもしれませんね。と説明した後,校庭に横断歩道を作って,お辞儀の仕方や時間,安全な渡り方などを何度か練習させました。また,6年生にも1年生を見守ってほしいとお願いしました。

 本来なら,学校全体の取組として職員会議に諮り,全職員の理解と協力を得る必要があります。しかし,新しい取組への抵抗もあり,合意を待つ余裕もありませんでした。そこで,まずは1年生だけで始めることにし,学年主任に事情を説明して協力をお願いしました。

 翌日,通学路の様子を見に行くと,1年生たちが,横断歩道を渡らせてくれた車の運転手に深々と頭を下げていました。次の日には,高学年の子どもたちの一部まで一緒にお礼をするようになっていました。そして1か月もたたないうちに,いつの間にか全校児童に広がっていたのです。

 運動が定着すると,運転手から学校に電話がかかってくるようになりました。「子どもたちがお礼をしてくれるので,朝からとても気持ちがいいです。知らず知らずのうちに,自分も安全運転をするようになりました」という内容でした。

 それとともに,通学路を走る車も,心なしかゆっくり走るようになった気がしました。もちろん,お礼運動だけですべての事故を防げるわけではありません。しかし,「ルールを守りなさい」と繰り返すだけでなく,子どもたちが「ありがとう」という気持ちを伝えることで,運転手にも「子どもたちを守ろう」という意識が生まれたのかもしれません。

 1年生から始めた小さな取組が,全校に広がり,地域の人たちの意識にも変化をもたらしました。そして何より交通事故が激減したのです。安全を守るには,交差点・横断歩道でのルールを教えるだけでなく,スクールゾーン全体で感謝の気持ちを通して,互いに相手を思いやる心を育てることも大切なのだと,改めて感じた出来事でした。

ちょいとブレーク

 地方の学校で管理職をしていた頃の話です。雨の日,登校してきた子どもたちが,傘をさしているのにびっしょり濡れているのです。「どうしたの」と尋ねると,「〇〇兄ちゃんの車が凄いスピードで道路の水たまりをはねた」という返事が返ってきました。どうやら,いつも正門前の道路を通る地元の青年が,スピードを出して車を走らせ,水たまりの水をはね上げていたようです。  
 翌日も,その青年はいつものように学校前を通っていきました。そこで私は車を止めて,「あなたの運転を子どもたちが怖がっているよ。ここは高速道路じゃないからね」と注意しました。  
 それ以来,その青年は遠回りをするようになったのか,学校の横を通らなくなりました。少し言い過ぎたかなと思っていたところ,後日,公民館役員との会合で思いがけないことがありました。どこで聞きつけたのか,ある役員の方が私のところにやって来て,「先生が注意してくれたのは,私の息子でした。すみませんでした」と頭を下げられたのです。  
 さらに,その方はこう話してくれました。「自分は公民館役員として,環境整備や青少年育成を担当しているのに,何をしているんだと息子に言ってやりました」  
 私は,その言葉を聞いて,ありがたいと思いました。私が注意したことを不快に思うどころか,地域の一員として受け止め,親として息子を諭してくれたのです。  
 地方の学校は,地域とのつながりが深く,学校だけでは解決できない問題も,地域の人たちと協力しながら解決していけるところがあります。もちろん,地方ならではの難しさもありますが,こうした地域の理解や協力は,学校にとって大きな支えになります。  
 もし同じことを鹿児島市内でしていたら,その青年と口論になったか,地域の方から批判が出ていたかもしれません。そう考えると,地方の学校は,地域との関係がうまく築かれていれば,子どもたちの安全を含め,動きやすい環境にあるのだと感じます。
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